先日子供たちと行った、船橋アンデルセン公園での話。
天気は最高。
秋晴れで風もなく長袖では汗ばむくらいの陽気でした。
息子と一緒にアスレチックや自転車などで身体を動かしたあと、休憩もかねて一緒にボートに乗りました。
しばらく漕いでいると
岸の近くに大きな花壇がありまして
大学生っぽいカップルがやってきました。
二人ともスマホで花や景色を写真に撮っては
またスマホをいじりだす。この繰り返し。
SNSにアップしているのでしょう。
最後に花壇をバックに二人で自撮りし
その場を去っていきました。
...
ゆったりボートを漕いで同じ場所に戻ってくると
今度は花壇の前に老夫婦が立っていました。
二人は花壇の前にゆっくりと座り
花の匂いを嗅いでみたり
遠くの景色を指差しながら
時に二人で顔を向きあわせて会話をしていました。
どちらがいい、悪いという話ではなく。
SNSを使うようになってから経験と撮影がセットになることが増えましたが、「写真に残せる安心感」も「写真に残せない緊張感」も。どちらも大切にできるといいのかなと、思った。
残せる安心感は、記録すれば後から振り返れるし、共有できる。
残せない緊張感は、記録には残らないものの、全身で感じる分だけ深く刻まれる。
ただ、撮影できる安心感は、目の前で起こっている経験に対する感度を少し鈍らせてしまっていないだろうか。そんな不安を老夫婦から感じました。
もちろんSNSは仕事や自分事を手軽に発信でき、仕事に繋がることもある便利なツールですが道具には得て不得手があります。便利なものは時として毒にもなる。
今はこの瞬間から過去になっていく。
目の前で起きている出来事も、目の前にいる大切な誰かも、今は今しかないのだから。時にはカメラを置いて、経験を全身に焼きつけることも大切にしたい。
そんなことを思いながら、こうしてシャッターを押すのでした。