先日、進路相談を受けたある高校生の話。

先生:おい◎◎、お前やる気あるのか?

◎◎:あります(実はあまりない)

先生:じゃぁなぜ成績が上がらないんだ、言ってみろ

◎◎:すみません(サラリと)

先生:答えになってない。理由は何だ

◎◎:多分***だからです(出まかせ)

先生:だからお前は考え方が甘いんだよ。いいか、、続

◎◎:、、、、(メンドクセーなー、適当に済ませておくか)

今後この先生に生徒は相談するだろうか。もし何か言おうものなら説教されるのがオチ。とすれば関わらなくていいように距離を置く。相談できないのか、相談したくないのか、相談しても無駄だと思っているのか、そもそも将来に興味や関心がないのか。

根っこを辿っていくと悲観的/否定的無関心な大人(親や先生)からうけた価値観が見え隠れする。それは高校に入ってから始まるものではなく、幼少期~小学校~中学校と少しずつ積重なり刷り込まれるのだ。

高校生へ質問:親や先生からよく言われる言葉は?

「どうぜお前には無理だ」
「やめておけ」
「もっと勉強しろ」

大人へ質問:最近の高校生のイメージは?

「冷めている」
「何を考えているかわからない」
「無関心や無反応」

時代の変化で学生が変わったというより、学生を取り巻く環境が変わったとつくづく感じる。学生に関わる先生や親が冷めていたり、仕事が多忙で関われずつい無関心になってしまったり。

もし学生から見た大人達が、自分らしく元気に前向きに仕事をしていたら、学生も働くこと・大人になる事に前向きになれると思う。だって夢を持たない大人から「学生なんだから夢を持ってどんどん挑戦しよう!」と言われたって痛いだけ。

前途多難な高校生が人生をデザインするって至難の業。だから学生が安心して相談できるような信頼のおける大人が居ないのは本当に胸が痛む。地図も海図もコンパスもないのに、海に放り出されるようなものだ。

不安定な時代・正解がない時代で生きていくには、本人の覚悟だけでなく、先人の知恵、大人(先生や親)と子供の信頼関係が大切だと思うのです。