先日、小学校5年生の息子がウソをつきました。
ある週末、友達と遊ばずまっすぐ帰宅することを約束したのですが、約束を破って遊んでしまい、そのことを隠していたのです。
「パパも約束破ったこと、何度もあったなぁ」
「、、、そうなの?」
「もちろんあったよ」
「ごめんね」
「無理もないよ。ただ人にウソをつくことはいい事?悪い事?」
「、、、そりゃぁ、、悪い事だよ」
「そうだよね。**(息子)が悪いと言っているのではなくて、ウソをつく行動が良くない、と言っているんだ。何となくわかる?」
「うん、でもどういうこと?」
「人の心には誰でも天使と悪魔がいるんだ。例えば宿題をやらなきゃいけないと思っていても、ついテレビを見ちゃうことってない?」
「あるある!」
「悪魔はバイ菌をイメージしてみてもいいよ。冷蔵庫の中でバイ菌は放っておいても増えるでしょ」
「そうだね」
「もしウソをつき続けていったら、**の体中がバイ菌でどんどん侵されてしまうようなものなんだ。」
「うぁ~、、、ヤバイね」
「でも、今回は良かったと思っているよ」
「え?どうして?」
「だって早く見つかったじゃない。ガン細胞だって、早く見つかったら治療が早く軽く済むでしょ?」
「あー、そっか」
「じゃぁ、これからどうすればいいか一緒に考えてみようか」
「わかった」
こうしたときに絶対やらないように心掛けていることは、人格を否定することです。典型的なトークが「だからオマエはダメなんだよ」的なもの。
こうした人格を頭ごなしに否定するのは簡単ですが、子供だって人間です。人格を否定されれば心が閉じます。相手が心を閉ざしてしまうと、どんなに一生懸命伝えても・どんなにいい言葉を並べても、相手にメッセージは入っていきません。
人格を否定するのではなく、行動を改めさせるように導けるかどうか。今のままではマズイと感じてもらえるかどうか。
なぜなら、子どもを叱る目的は、叱ることではなく、子どもが自分自身で正しい方向への判断や行動ができるようになることだと思うのです。