2015年12月22日

 

父方の祖母が無くなった

96歳

 

ほぼ一世紀

平均寿命が88歳の世の中で大往生だ

 

10年前に亡くなった爺さんと

やっと一緒になれたのかな

 

最後に会話したとき

なかなかお迎えに来てくれねぇんだよなー

爺さんが来るなってさ

 

と、冗談半分で言っていたなー。

 

家族でお見舞いに行った時、子供たちが折り紙で鶴を折って渡したっけね。少し泣きながら「ありがとね、ありがとう」って。

 

こんなことも話してくれた

なぁマサヨシ

 

生きてるってことは

すごいことだよねぇ

 

自分で死にたいと思っても

簡単に死ねるものじゃない

 

食べ物もよくなったし

こうして看病してもらえて

お医者さんの腕もいいしねぇ

 

生きてるっていうか

生かされているよねぇ

 

ありがたいねぇ

 

96年生きたから舞い降りた言葉かもしれない、そう思った。「生かされている」と口で言うのは簡単だけど、私自身は正直「生かされている」実感はあまりない。今を「生きる」ことで精いっぱいだ。婆ちゃん凄いなと思った。

 

両親は共働きだったから、学校から帰るといつもお婆ちゃんが居てくれた。小学校に入学した初日。下校してきたら、遠くからお婆ちゃんが玄関の前で待っててくれた。

 

大人になっても心配をかけた。私が実家に帰省するのはいつも突然だった。 お婆ちゃんはいつも、コタツの指定席で背中を丸くしてテレビを見ていた。晩年は耳が遠くなってしまったが、耳以外は元気だったので声を掛けてくれた。 

 

そんな婆ちゃんが天に召された。

 

実家の地域は神葬なので婆ちゃんは仏でなく神になる。

  • お通夜は「通夜祭」
  • 告別式は「葬場祭」
  • 火葬は「火葬祭」

というらしい。お焼香の替りに榊(さかき)をたむける。

 

人の死には様々な想いが錯綜する。特に母親は自分の仕事をしながら、介護の現実をまざまざと教えてくれた。人を一人送るのは想像以上に大変な事なんだと思ったし、だからこそ健康で元気に自立して生きていくことが、自分にも近親者にも幸せなことなんだと実感した。

 

明後日、神様になる婆ちゃんに最後のお別れをする。

 

そして今の気持ちをブログに綴ることで、いつでも婆ちゃんを思い出せるようにしておきたい。これからも元気に自立して生きていくために。

 

婆ちゃん、今までありがとう。

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