終電を逃しタクシーで帰宅したある平日。
最近の出来事を思い出しながらボーっと窓からの景色を眺めていたら、運転手さんが
「お客さん、よかったらどうぞ」
と、飴を差し出してくれた。
年齢は60代前半くらいか、清潔感あふれる身だしなみに穏やかな表情を醸し出す紳士的な方だ。もちろん初対面。
「高麗人参の飴です。疲れた身体にいいですよ」
乗車したお客に配る営業行為だと思うが、わざとらしさやあざとさを全く感じない雰囲気が心地いい。
「ありがとうございます。疲れてそうに見えましたか?(笑)」
「こんな時間にタクシーに乗る人は、皆さんお疲れですよ」
穏やかな口調が心に染みる。
「そうかもしれません(笑)」
「ご事情はわかりませんが、どうしようもない事もありますからねぇ。仕事でも人間関係でも、、、」
ベテランの勘なのか根拠があるのか。わからなかったが肩の力がスーッと抜けていく感じがする。
「何でも楽しいこともあれば、切なく辛いこともあるものですね」
「ええお客さん。私もたくさんありましたよ」
「そんな時はどういうお気持ちで過ごされたのですか?」
「受け入れる、、、ですかね。自分のためにも相手のためにも」
「消化できないことはありませんでしたか?」
「ありましたけどね、、、辛くても切なくても、受け入れて前に進んだ方が今思うとよかったことが多かったと思います」
「なるほど、、、運転手さんも越えてこられたんですね」
「私の話ばかりで失礼しました」
先人の教えは深いなぁ、、と噛みしめてしまった。
「もし消化できると、どんな心境になるものですか?」
「そうですねぇ、、、」とすこし考えてから
「この人と・この仕事と出会えてよかった、、とか、また自分の人生経験が豊かになった」そんな風に思えたような気がします。
「ありがとうございます。私も一つずつ越えていきます」
そんな話をしているうちに自宅近くに到着。
「最後に一つ聞いてもいいですか?」
「何でしょうか」
「運転手さん、もしかして営業のご経験はおありですか?」
「よくわかりましたね(笑)定年直前まで営業一筋でした」
「私も運転手さんと出会えて良かったです。ありがとうございました」
一歩ずつ少しずつ。
現実を噛みしめ、味わい、受け入れていく。
そんな気持ちを運転手さんから頂いた気がした。
自分のためにも相手のためにも。
仕事のためにも人生のためにも。