正論が得意な人はどの世界にもいる。
ある医者
(問診で)何?言ってくれないと聞こえないよ。
お母さんを見てもお母さんは痛くないでしょ。
ある会社員
え?●●ですか?
●●は何も指示がないので何もしてません。
ある上司
(部下のミスに)
だから△△だって言っただろう。
ある同僚
あー、それはどうせ■■だよね。
だって**だし。
何のためにコミュニケーションを取るのだろう。
- どちらが上位(優位)か決めるため?
- あなたの正当性を主張するため?
- 正論の勝敗を決めるため?
コミュニケーションの目的はお互いが満足すること。議論=正論を言い合うことでお互い満足すればいいが、大抵の場合は相手に正論をそのまま伝えても、相手は望む方向には動かないものです。
だって「カチン」とくるから。
宿題をやらない子供に、「宿題やりなさい!」と正論を伝えて、子供が宿題をやり始めればいいですが実際はどうでしょう。「(チッ)わかってるよ、今やるよ」と言ってやらないのがが関の山ではないでしょうか。
同僚に「私聞いてないから、やってません」って言われて同僚はどう思うだろうか。自分の正論を貫くのは大切。しかしその結果、相手が一方的に我慢をしたり、全体利益が損なわれるとしたら、ただのワガママに過ぎない。
正論の出所は経験・価値観・常識であることが多い。
この不安定な時代に正解はない。あるのは正解「らしい」こと。過去正解でも、今通用するか解からない。過去不正解でも、今は正解かもしれない。
なので経験・常識・価値観を一旦横に置き、謙虚に向き合い、望む結果へ何ができるか考えた方が人間関係は良いものになっていくと思うのです。