8年前の12月16日
従兄弟が交通事故で死んだことからの学びは
「明日は当たり前にやってこない」ことだった。
今日が生きられたから
明日も生きられるとは限らない。
しかしそんな当たり前なことでも
毎日毎日平穏に過ごせてしまうと
つい忘れてしまう。
2011年3月11日から6年。
この記事が投稿された丁度6年前に
大震災が起こった。
日本は安全という常識が
根こそぎひっくり返されたのに。
この世に絶対あり続けるものはないって
日本中が目の当たりにしたのに。
私たちは生かされていて
今ある命を大切にしようって思ったのに。
平和ボケしていると忘れてしまう。
原発もそうだ。
震災直後は毎日毎日「シーベルト」って単語を
聞かない日はないくらい騒がれたのに今はどうだろう。
そして、原発事故が依然お粗末な状態にあり
管理できないほど危険なものを持つべきではないことを
かさこさんの記事が伝えてくれる。
忙しい日々に追われてしまったり
平穏な日々が続いていくと
つい忘れてしまう。
しかしもう一度思い出したい。
今日何事もなく学び・仕事ができたとしても
明日は何が起こるかわからない。
人は忘れる生き物だから
こうして書き残しておく。
フェイスブックなどSNSでは流れてしまうが
ブログなら残る。
今日何を考えていたのか
いつでも戻ってくることができる。
そして偶然でもいい。
誰かがこの記事を読んで
6年前を思い出す人が一人でも増える
きっかけになればいい。
私たちは生かされている。